JBAでは、2019年が日本の吹奏楽発祥150年であることを記念して、記念式典並びに記念演奏会[2019年10月14日(祝・月)横浜・本牧山妙香寺]の開催、ロゴマークの制定、作品リストを作成するとともに、吹奏楽発祥に至る歴史と次世代に向けてのメッセージとして吹奏楽コンサートのプログラム用の文章を用意いたしました。 所属あるいは関係される吹奏楽団体や地域でのコンサートのプログラムなどに下記の文章をご掲載いただき、日本吹奏楽発祥150年の節目に理解を深めて頂きたくご協力をお願い申し上げます。
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本年は、明治2年(1869)に横浜の本牧山妙香寺におきまして、薩摩藩士がイギリス陸軍軍楽隊長ジョン・ウイリアム・フェントンから吹奏楽の指導を受け始めてから150年という記念すべき年であります。 薩摩藩が吹奏楽の伝習を始めるきっかけとなったのが、「生麦事件」に端を発した文久3年(1863)の「薩英戦争」の際、昼間の戦闘が終ると夜は英国軍艦の上では軍楽隊が演奏を行い、それを見た薩摩藩が維新後に楽隊を作る動機になった、と長らく伝えられてきました。 しかし実際には、砲戦があった日は暴風雨で軍艦の甲板上での演奏は無理でした。もし演奏があったとしても、鹿児島の町は英国軍艦の艦砲射撃で焼かれていて、薩摩藩士の耳に届いたとは、とても考えられません。 この「薩英戦争」を境に、薩摩藩、英国共に相手の実力を再認識し、互いに手を結んだ方が得策だと考えて急接近しました。日本を取り巻く当時の国際情勢は、変化に富んで流動的でした。 慶応2年(1866)には、英国艦隊3隻がパークス公使夫妻を伴って鹿児島に入港し、親善行事が繰り広げられました。この時には、旗艦軍楽隊の演奏が披露されていて、これが吹奏楽伝習に大きな影響を与えたと考えられます。 諸説ありますが薩摩藩士は32名で伝習を始めたようで、当初は和楽器を用いて基礎訓練を行い、明治3年(1870)7月に、英国からベッソン社製の吹奏楽器一式が到着し、本格的な吹奏楽の訓練に入りました。 翌月には英国陸軍軍楽隊と山手公園で合同演奏を行い、9月には東京・越中島における天覧操練で、フェントン作曲の礼式曲「君が代」を初演しました。これが、日本の吹奏楽の始まりと言えましょう。 公益社団法人日本吹奏楽指導者協会(JBA)は、平成元年(1989)に、ゆかりの妙香寺境内に「日本吹奏楽発祥の地」の記念碑を建立し、毎年、各方面の吹奏楽団のご協力を得て、記念演奏会を実施してまいりました。今日の吹奏楽の隆盛を支えて来た多くの先人の遺徳を忍び、その功績に敬意を表して報いるべく150年という節目に当たり、吹奏楽に携わり、あるいは愛好する方々と相図り、この意義ある年を盛り上げたいと存じます。 ※ダウンロードはこちらからお願いします。 |